⬛黒く塗られた家と竹の雨どい――戦時中の外壁と屋根の話🏚️
2025年08月12日 16:20:00

こんにちは。
突然ですが個人的な話を最初に少し。
今回のブログを作成しているワタクシ"スタッフN"はウチナー(沖縄)2世でして、苗字は両手の指の数にはランクインする、ひらがなやカタカナで読むと日本でありふれた苗字なんですが、漢字は沖縄を象徴するものでして🌺
祖父母から聞いた話では、戦時中に大阪の大正区という場所に疎開してきたのですが、当時はウチンナンチュ(沖縄人)に対する差別が激しく、戦争のゴタゴタで戸籍も消失してしまっていたことから、読み方はそのままに、漢字のみ本州式に変更したとのことです。
そんなワタクシ"スタッフN"のルーツには《沖縄》と《太平洋戦争》というものは欠かすことのできないワードです。
沖縄に旅行に行く際には、どの離島でも必ず戦争遺跡や資料館などの戦争の足跡をたどりますし、
知覧や鹿屋、万世を巡り、号泣しながら想いを馳せたり、戦争に係る色々な文献やら、フィクションからノンフィクション小説も読んで、切っても切り離すことの出来ない
《沖縄》と《太平洋戦争》=自身のルーツ
に関わる全てに対して、少しでも知りたいと思っています。
奇しくも明日は終戦記念日。
この時代をテーマにしていいものかと迷いもありましたが、あえて今回は戦時中の家屋(主に屋根と外壁)について、少し掘り下げてみたいと思います。
短い時間ですが、お付き合いくださいませm(_ _)m
↓↓↓
戦時中、日本の家は今とはまったく違う姿をしていました。
金属は軍に供出され、屋根は瓦の代わりに板やスレート、雨どいは竹や木で作られました。
外壁は黒く塗られ、灯りを漏らさぬ工夫や空襲対策が施されます。
戦時中の外壁と屋根 ― 資材不足と生活の知恵
🌳資材不足と代用品
第二次世界大戦中、日本では住宅用の建築資材が極端に不足しました。
原因は、金属・石油・コンクリートといった材料がすべて軍需に優先的に回されたからです。
銅板屋根やブリキ屋根 → ほぼすべて軍に供出。
瓦は焼成に燃料を使うため生産が制限され、新しい瓦はほとんど手に入らない。
代わりに木材に防水塗料を塗った板や、古い瓦の再利用、スレートの再生品が使われた。
瓦は焼成に燃料を使うため生産が制限され、新しい瓦はほとんど手に入らない。
代わりに木材に防水塗料を塗った板や、古い瓦の再利用、スレートの再生品が使われた。
銅・亜鉛・鉄などの雨どいは回収され、代用品として竹や木製の雨どいが普及。
外壁の例
モルタルやタイルは資材不足・工期の長さから敬遠。
下見板張り(木の板を横に重ねて張る方法)や粗末なベニヤ板で覆う簡易施工が多かった。
🔥防空と延焼防止の工夫
空襲が激しくなるにつれて、家の外壁や屋根にも防空対策が行われました。
灯火管制
二次大戦あたりだと地形判別レーダーも導入されていますが、目標識別の最良の手段は「目視」でした。
夜間、敵機に発見されないように、窓や外壁を黒い塗料で塗ったり、黒布で覆ったりしました。
特に白い漆喰壁や淡い色の外壁は黒く塗り替えられたこともあります。
屋根の上に土嚢を積み、爆風や焼夷弾の直撃を和らげる。
外壁や窓を板で覆い、飛び散る破片やガラスを防ぐ。
屋根瓦の一部を外して水を貯められるようにし、火事の初期消火に使う家もあった。
外壁や窓を板で覆い、飛び散る破片やガラスを防ぐ。
屋根瓦の一部を外して水を貯められるようにし、火事の初期消火に使う家もあった。
🏚️空襲による被害と応急修理
●*焼夷弾は木造家屋に非常に弱く、屋根や外壁がすぐに燃え上がりました。●爆風で瓦は吹き飛び、外壁は板が剥がれたり穴が開いたりしました。
●修理資材は手に入らないため、焼け残った板やトタン、他の家の廃材を集めて貼り合わせる「パッチワーク外壁」がよく見られました。
●戦争末期には、家全体がバラックのような外観になることも多かった。
地域によって被害の格差はあるのでしょうが、上記は日本各地で見られた家屋の光景だったのでしょう😢
私の母が沖縄に初めて行った時は、現在の沖縄からは想像もつかない程"掘っ立て小屋"が多かったらしく、海の美しさの印象よりも、その光景の方が強烈な印象が残っていたと聞きました。
*焼夷弾(しょういだん)は、建物や物を燃やすことを目的に作られた爆弾です。
中にはマグネシウムやナパームなど、強い火力で燃え続ける可燃物が入っていて、落ちると広範囲に火が広がります。
中にはマグネシウムやナパームなど、強い火力で燃え続ける可燃物が入っていて、落ちると広範囲に火が広がります。
そのため、木造家屋の多い日本の都市で大きな被害をもたらしました。
🛖戦後への影響
●戦時中の急ごしらえ住宅は耐久性が低く、戦後すぐに劣化・雨漏りが発生。●戦後の住宅不足解消と同時に、モルタル外壁・スレート屋根といった耐火性・耐久性の高い建材が急速に普及しました。
●しかし、戦時中の「資材を使わず工夫で耐える」知恵は、戦後の仮設住宅や災害時の応急建築にも活かされました。
🪖戦時中の家屋が残したもの
今でも地方に行くと、戦時中に建てられた黒塗りの下見板壁や竹製雨どいの痕跡が残っている家があります。
これらは「軍需優先の時代に、どうやって生活を守ったか」という貴重な証拠であり、歴史的な価値があります。
これらは「軍需優先の時代に、どうやって生活を守ったか」という貴重な証拠であり、歴史的な価値があります。
戦時中の外壁や屋根は、限られた資材の中で人々が知恵を絞り、工夫を重ねて必死に厳しい環境に耐えてきました。
板をつぎはぎした壁も、竹で作られた雨どいも、ただの資材ではなく、生き延びるための祈りが込められていたのではないでしょうか🛐
戦時中の家々は、無言のまま「生き抜こうとする底力」を、今を生きる私たちに訴え続けています。
戦時中の家々は、無言のまま「生き抜こうとする底力」を、今を生きる私たちに訴え続けています。



